|
栄養教育の現場から 。 私が考える「理想の保健指導・栄養教育 (1)」 ![]()
あけましておめでとうございます、と新年を迎える度に私は「今年は何歳」だとか、「**からもう何年」とか思うのですが、2007年には「3月で社会人になって20年」だということに気づき、感慨深いというか愕然とするというか、複雑な感情におそわれました。
というのも、我ながら、よく栄養教育の仕事を続けてきたなあという気持ちもあれば、20年でまだこの程度?とがっかりする気持ちもあるからです。 でも、この2008年は「特定健診・保健指導」がスタートする年でもあり、この機会に、自己紹介も兼ねて私の理想とする保健指導を考えてみたいと思いますので、どうぞ最後までお付き合いくださいね。 さて、保健指導というコトバを知ったのは社会人になってからでしたが、その精神を知ったのは、そしてその仕事をしたいと決心したのは、確か小学4年生の初冬の頃でした。 きっかけは、活字中毒気味だった私がふと手にした大人の雑誌に掲載されていた投書。それを書いたのは多分、若くはない、きっと50代とか60代だったであろう医師です。その主旨は「・・・難しい手術や治療をする医師は、手術に成功すれば患者さんから命の恩人と一生感謝され、名前も覚えられているだろう。それに比べて私の仕事は予防だから、悪くなりかけたのが正常になっても相手は治ったとも思わず、大して感謝もしないだろうし、私の名前も指導したことも忘れてしまうだろう。それでも、その人の寿命が少しでも延び、地域の寿命が延びるのなら私は十分、満足だ」・・・というようなことでした。 それは、本当に読むのに数分もかからないような投書でしたが、私にとっては衝撃的でした。魂をわしづかみにされた、というと大げさなようですが、本当にそんな感じだったのです。文章から目を離せず、何度も何度も読み返し、私もこのような予防の仕事がしたい、するんだと、自分の部屋から見上げて宣言した空の青さは、今でも脳裏に浮かびます。もちろん、それ以前に下地となるいくつかの出来事があったのですが、それらが全部結びついて、未来に向かった決心のきっかけになったのがその投書でした。 下地の出来事のひとつは、やはり小学4年生の多分、初秋。人工透析を専門とする職場で仕事をしていた父が漏らすように言った「病気になった人を助けるのも大事だけれど、病気にならないほうがもっと大切だ」という言葉でした。仕事柄、父は特に予防の大切さを実感していたのでしょう。その言葉は私の胸に重く残りました。他の下地の出来事は、いずれ機会があったら書くことにしますが、とにかくこうした出来事は、私が「予防」の仕事がしたいと思うきっかけになったと同時に、私が仕事をする上での「理想の核」になっています。 保健指導を通して、相手の人生のために大切な健康を支えたい。それは目立たない仕事かもしれませんが、何年か、何十年か後に、こんなことがあったら・・・と想像します。 たとえば、ある方が友人に「なんでそんなに元気なの?」と聞かれ「別に普通に生活しているだけだよ。ちょっと食事とかに気をつけてね。食事はね・・・」と答える。友人に「何でそんなに詳しいの?」と聞かれたその方は「昔は無茶もしたから、気をつけるようにしたんだよ」なんて言って、「そうそう、食事でわからなかったら栄養士にきけば」と付け加える。自分が会った栄養士の名前や顔なんて忘れてるけど、食生活はこうすればいいという知識や実践力はすっかりその方の身に付いて、「栄養士は頼りになる」という印象は残っている・・・。 そんなことを想像(妄想?)しつつ、今年も私は保健指導・栄養教育に向かいます。 p.s.皆さんが栄養指導に興味を持ったきっかけはどんなことですか?
|
|